Thanks to * Tomoya Nishitani & Shota Arakawa & My Family *

先週、娘の卒業式がありましたが、今は卒業アルバムに加えて卒業CD-ROMまで記念にもらえるんですね。入学式から始まって遠足、修学旅行、

体育祭、文化祭etcの写真をスライドでBGM、ナレーション付きで見れるのですが、その写真の数の膨大な事・・・スゴイです。

まともに見たら1時間以上かかるでしょう。しかもランダムになっていて見る度に構成や順番が違ってる。もちろん一枚づつ順番に見ていく事も

出来ます。娘のワンショットの写真もあり、それ以外でも写っている写真は十数枚以上はあります。たぶん全員がそんな感じで撮られています。

それでも一枚も写ってる写真がない同級生がいたら、かなりかわいそうです。でも写真を見ていて思ったんですがイベントだけでなく日常の学校

生活風景を見てもスゴクみんな楽しそうなんです。しかも自由です。つき合ってるカップルのツーショットのスライド写真が何枚もあったり・・

僕らの頃には考えられない、ありえない。・・・見終わった時、あったかい気分になりました。こういう中で娘は3年間過ごしたんだなぁ。と

この学校が後、何年かしたら無くなってしまうのはとても残念です。そういえばこの前、学校のHPを見てたら娘のひとりで写ってる写真が

コンテンツのタイトルページに使われていて・・思わずダウンロードしてしまった。こういうのを親バカと言わずして何が親バカだっ!  だけど

バカ親にはなりたくない。先週末はF-1GPが開幕しました。いつも知り合いにF-1のどこがそんなにおもしろいの?と聞かれますが、僕は数ある

イベントの中では最高のエンターテイメントだと思ってます。生で見れるチャンスがあれば「ああ、なるほど」って事になるんだけど。くやしい。

話は変わりますが、確定申告の時期になると箱根の富士屋ホテルを思い出します。あのジョン・レノン、チャップリンやヘレン・ケラ−が宿泊

した明治11年創業の超有名ホテル。なぜかというと友人のT夫婦が毎年2月頃このホテルに宿泊し、その一室で確定申告の計算をするのが恒例

になっていたそうです。ところが2年前位にある事情で宿泊出来なくなり、T夫婦はよろしければ僕ら夫婦に行ってもらえないか・・と・・・・

支払い済みのチケットなので当然、受ける訳にはいきません。ところが結局ご好意に甘えて一泊させてもらう事になりました。T夫婦に感謝です。

行く前にいろいろ話しは聞いていたけど、まるで千と千尋の世界でおもしろかったです。1日ホテル内や庭を廻ってもOKだし、芦ノ湖スカイラ

インなどのドライブも楽しかった。興味のある方はネットで富士屋ホテルで検索してみるとたぶん外観とか雰囲気が見れると思います。

話しのテーマが盛り沢山で、ごちゃ混ぜでごめんなさい。で、先週から見たDVD、TVなど「パイレ−ツ・オブ・カリビアン」去年の夏、家族で

「踊る大捜査線」の方を見たので映画館では見れなかった。娯楽としておもしろい。ディズニーだ!「戦場のピアニスト」「壬生義士伝」

共に運命に翻弄されながらも懸命に生きようとする主人公たち。理由もなく、たまたま殺されたり、たまたま生き延びたりする現実の恐さや

むなしさ。「トランスポーター」カーチェイス&アクション。今週はCL決勝トーナメント1回戦の第2戦があります。

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バスから降りるときにこけた。無理して足を伸ばしたら届くかもしれないという歩道から絶妙な位置に停止してくれた為に・・・・やるなぁ。

運転手さん。誘いに乗っちゃいけないね。発車ぎわにクラクションを2回鳴らして去っていった。してやったり。(運転手さんごめんなさい)

最近とくに不便に感じてる事があるんですが、40代になってから老眼がはじまり、今ではすっかり老眼鏡のお世話にならないと仕事はもちろん

読書も出来ません。若い頃、視力が良かったのでそういう人は老眼になるのが早いらしいです。視力の良かった頃は1Km先の看板の小さい文字

まで見えるくらい、アフリカの人なみの生活でした。もちろん獲物を捕る為です。TVでアフリカの住居とかが映る度に懐かしさが込み上げて

きますし、文字など必要のない生活ですから。近くの細かいものを見る時だけメガネが必要って意外と不便です。普段は必要ないので・・・

いっそのこと肉眼で見えたふりしたり、勘で決めたり、ノリでいっちゃったり・・・出来ないもんだろうか。この文章をPCで入れてる時などは

すごく微妙な感じでメガネかけなくても、ちょっとぼやけてる程度で文字は見えるし、かけると良く見えるけど眉間のあたりがムズムズするし。

ピッタリ来ない。さっきのバスの話ではないけど30代の頃に友人とサッカーチームをつくって週末とかに試合したりしてた時には同年代の

チームメイトが次々と大怪我をして、結局人数集めもたいへんだし1年位で解散する事になりました。まだ30代は若い頃のイメージが

残っていて多少の無理もきくし・・でも確実に身体がMAXを超えてしまいケガをしてしまいます。40くらいになるとあきらめと共に自覚が

ある程度出来るようになりますが、どっちにしろ30、40って若者でもないし老人でもない過渡期の中途半端な時期なのかもしれません。

だからといって同じ日に2回もフリートークを書いてしまったのはモウロクしたからではありません。一応。

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サッカー・オリンピック日本代表が厳しい戦いをしています。明日のUAE最終戦でアテネに行けるか敗退かが決まります・・・・

UEFAチャンピオンズリーグもベスト8が決まって、マンチェスター・ユナイテッドが敗退・・トホホ。その他ユベントスもバイエルン

ミュンヘンも負けました。まぁバイエルンの場合は相手がレアル・マドリッドだったので仕方がないと言えば、そうなんだけれども。

是非ともレアルvsアーセナルの試合が見たい! ところで先週末、姪の成人式の写真が届きました。しばらく会わない間にすっかり大人に

なっちゃってびっくりしました。うちもあと2年で上の娘が成人を迎えます・・・

下の息子はテニス、バンド練習にがんばってます。最近僕もギターをひっぱり出して弾いたりしています。が、指が昔のように動いて

くれない。実は昔もそんなに動いてなかったような気もするけど・・でもシーケンスで曲つくるよりも、やっぱりギターで弾いちゃった

方が早いや。あいかわらずソフトの音源ではエレクトリック・ギターの音が再現出来ません。たぶん再現出来てもあまり楽しくなさそう

ですが。もっと自由にやった方がイイんだと思うこの頃です。

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ただメザトイだけだと思うけど、有名人によく遭遇する。数えたら、たぶん100人はこえるだろう。

いろんな場所で普通に考えたらありえないようなシチュエーションの時もあった。でもネタとしてはおもしろいけど全部話すにはものすごい量に

なってしまうし、サイト上という事もあるのでなかなか難しい。・・・・ジーコに遭遇した。先週ある場所で。友人のT氏、Yさんと3人で

神様を確認した。神様は僕に微笑みながら「こんにちわ」と声をかけてくれた。ス・・スゴイ・・!  その時ジーコの表情が語っていた。

「ノー・プロブレム」そんな気がした。TVで見るより若く感じた。生ジーコは1981年のトヨタカップの時、国立競技場でプレーを

見て以来。現在、日本代表監督としていろいろ批判をあびている。今後どう展開していくかまったくわからない。

でも人間ジーコにはとても魅力的な印象を受けた。神様ジーコはオーラを発しており、やはりカリスマだ。

はたして監督ジーコはどうなるのか? 結果がすべてだとは思うけどサッカーほど読めないスポーツはないからなぁ・・・

攻撃的戦術のチームは特に。「生ジーコに遭遇」は話さずにはいられなかった・・・・

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ドーナッツが安かったので、家族4人で会議。死ぬ程食べたいって事で夕食はドーナッツに決まり! スゴイ。うちの家族、変だよ。

奥さんは買う時そうとう恥ずかしかったらしい。いっしょにいなくて良かった・・・・プレスリーは偉い。奥さんのレパートリーで

NO.1人気の餃子も毎回100個はタイラゲル。子供達とよく話す夢はバスタブいっぱいにプリンを作ってもらいダイブしてそのまま食べる-

というもの。とても動物的というか野性的な家族である。サバイバルになったら強いかもしれない。・・・・ところで・・・・

TVで尾崎豊のトリビュートが出る特集みたいのをやっていた。尾崎豊は聴いた事ないけど、その名前を聞くと「原っぱ」を思い出す。

尾崎豊ファンの人ごめんなさい。彼の住んでたところが僕の実家の隣町で、彼の通ってた中学校が実家の近くでした。つい最近、僕の父親がその町

の歴史をその中学校で語るイベントがあって町内から何人かの人が参加して生徒に語ったらしい。その町内史とは関係ないけど尾崎豊がバイクで

校庭に乗り込んだ話は有名で僕もどこかで聞いて知っていた。当然その話しも出たりして父親は中学生とこの町の話しがいろいろと出来た事に

満足していた。意外とみんな関心を持ってくれて語り合う事が出来たそうです。

今両親が住んでる実家は僕が小学校2年生の時に引っ越してきた家で、その前は300メートル位はなれた場所に住んでいて目の前に富士街道が

通っていて(今は広くなって、いづれ環八通りになる予定)向いはお菓子屋さんともう一軒くらいで、後は段々畑になっていました。

もう40年も前の話しですから・・畑のむこう側は原っぱとカブト虫がとれる木立があり、子供の頃そこでよく遊んでいました。

原っぱの植物が子供の背丈くらいになる頃、秘密基地をつくったり、探検したり、そこは思い出の場所で今でも時々夢に出て来る事がある。

今その原っぱの場所には尾崎豊が通ってた中学校が建っていて畑は平地になってTSUTAYAなどが並んでいます。子供の頃は広大な大きさに

感じられてあの原っぱのむこうには何があるんだろう? なんて思ってたけど大人になって見てみるとちっぽけな広さに感じられた。

そういう訳で「尾崎豊=原っぱ」はイメージ連鎖され僕の脳みその中にインストールされてしまった。

「光が丘団地=アメリカ独立記念日」っていうのもあるんだけど、長くなるのでまたの機会に・・地元の人はこれだけで分かるだろうけど。

古舘伊知郎のトーキングブルース16thを衛星TVで見た。ここ7、8年毎回見てるんだけど、何度見ても2時間以上しゃべりっぱなしは

スゴイ。ひと頃、極める感じまでいっていたが最近は力が抜けてきた印象でそれもなかなかイイと思った。

それからUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝。4試合ともスゴイ試合でやっとチャンピオンズリーグらしくなってきた。

EURO2004(ヨーロッパ選手権)も、後2ヶ月とちょっと。W杯予選。オリンピックなどワクワクは多い。

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「It's not worth doing」というタイトルのオリジナル曲を2分弱位の長さで1曲フルバージョンにまとめてみましたが

FLASHを使わずにQuick Timeで作ってたけどうまくUP出来ず・・・結局 FLASHでファイルを作り直しました。MP-3でクリアな音に

デフォルトしたら、かなり重たい容量になってしまいました。ADSLでないと辛いと思います。残念。56kbpsのモデムで約11分の待ち時間です。

でも元のデータに近い音が再現出来てるので、是非一度お試しください。ループ再生ではないのでBGMとして使えないですが、

今まで作った曲もけっこう、うるさいものが多くてBGMになっていなかったから・・・けっこう時間かかったけど楽しかったです。

時々また作ってみます。気に入っていただけたり、何かご感想などが聞けたらうれしいです。

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GALLERYとWORKS・TOPページのFLASHムービーをリニューアルしました。軽めにシェイプアップしたのでダイヤルアップでも見れるんじゃないかな。

今日の戯言も新しくなりましたので是非。BGMのIt's not worth doing は1人だけイイって言ってくれた人がいました。ひとりでもうれしいもんですね。

いつも作ってる時「うるさい」って言ってた家族もこの曲だけは気にいってくれたみたいです。呆れるところを通り越してあきらめるとこまで行き

その先のちょっとイイかも? っていうところまで行ってしまうと人は応援したくなるもんなんですね。なんの応援なのかよく解らないんだけどね。

UEFAチャンピオンズリーグはレアルもミランもアーセナルも敗れて、ベスト4は新鮮な顔ぶれになりました。

ある意味どこが優勝してもおかしくないので、たぶんおもしろい準決勝が見れる事でしょう。これだからチャンピオンズリーグはわからない。

アウェイ・ゴールのルールが、他の大会よりも数倍おもしろくしてる。モナコのモリエンテスは元レアルのフォワードでしたがロナウドがレアル

入りして追い出されるようにしてモナコへ移籍。彼はレアルの一員として2度のチャンピオンズリーグ優勝を果たしていました。

その彼が対レアル戦で決勝ゴールを決めてレアルは敗退。こういうドラマはホント、スポーツをおもしろくさせる。・・・ところで・・・・

この前ちょっと話した「光が丘団地=アメリカ独立記念日」について・・昔、何年前か忘れたけど光が丘はグランドハイツという名前の地域で

カリフォルニア州だったんですよ。練馬区のかなりの面積はアメリカだったんです。今の光が丘の全部がアメリカの郊外の住宅地そのものでした。

芝生の庭に1階、もしくは2階立てのカラフルな木造住宅。だだっ広い芝生の広場、ベースボール場、プール、ポール・デイビスの絵に出てきそうな

丘の上の大きな木・・・もちろん軍関係の家族やらいろんなアメリカ人が住んでいた。日本人は入ってはいけないんだけど、よく友達と中に入って

遊びました。小学、中学、高校の頃ですから。グランドハイツの中はMPが車で巡回していて見つかると連れて行かれて牢屋に入れられる・・

という噂だったけど実際は事務所に行ってジュースとか飲ませてもらって還される感じでした。アメリカの子供とよくキャッチボールしたり

して遊んだけど、習慣の違いからケンカになったりもした。家の中にも入ったりしたし・・アメリカ人のガールフレンドがいた同級生も

いたなぁ。当時はたぶんかなりのカルチャーショックがあったのかなぁ・・・あまり感じなかったような気もするけど。

でも一番印象に残ってるのが独立記念日で、この日はジャップも中に入る事が許されていて中の広場でお祭りがあるんです。

その時は中学生だったんだけど僕の顔のあたりにお尻のある黒人男性がいてびっくりした。その頃、僕の身長は170cmはあったからあの人は

3メートルはあったな・・・それから小さいプールに水着の女の人が座っていて、ボールか何かを的にあてるとその女性がプールに落ちるゲームとか

ハンマーでアメ車を壊すゲームなど・・でも一番のお目当ては100円で売ってた林檎まるごとが棒に刺さっていてまわりにニッキの飴がまぶして

あるお菓子。ギルバート・オサリバンやエルトン・ジョン、ミッシェル・ポルナレフ、サイモン&ガ−ファンクル、カーペンターズ、ジム・クロウチ

・・あの頃のグランドハイツと共に過ぎて行った曲が浮かびます。

80年代にグラミー賞の新人部門を受賞したクリストファ−・クロス(今はほとんどの人が知らないですが)が、グランドハイツ生まれだそうです。

高校の頃にはグランドハイツのアメリカ人たちも帰国して土地は日本に返還されました。住居は取り壊されたけど広大な芝生の広場は残っていて

よくサッカーを友達としました。当時芝生でサッカーなんて社会人サッカーでもありえなかったからね。もちろんJリーグなんて影も形もなかった。

80年代にシカゴに行った時、あっ巨大なグランドハイツだ! と思った。シカゴから帰ってグラフィック展に応募して奨励賞をもらった連作の

1枚はまさに和洋折衷がテーマで、あるディレクターにはトリップやクスリの世界だ・・と言われましたが、中学校の同級生だった友達には

グランドハイツじゃん! て言われました。たぶん後者がすべてを言い当ててるでしょう。

まん中にあぜ道がゆるやかな曲線を描いていて、その道を境にして右側はこげ茶色の土の畑と農家の建物、雑木林。

左側には緑の芝生とかなりの余裕をもたせた間隔で建っているパステルカラーの住宅。あの不思議な風景。ここはいったい何処なんだろう?

同級生が言う。ここは「グランドハイツさ」。今はグランドハイツは記憶の中だけに・・・消滅して跡形もなく、過去にあったものをまったく

連想する事も出来ない程違う団地のビル群が突如出現したかのように連なっている。「グラントハイツ(正式名)」

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昔はホントに泣かなかった。悲しい映画を見ても辛い事があっても、そういう事では今でも泣く事はないのだけれど、特に若かった頃はたとえ感情

移入していたとしても「スッ」と瞬時に気持を入れ替えて、涙腺をコントロールしていた気がする。それがどうだ。ここ数年・・・・

飼ってたカメが死んだ時。いよいよ彼女の実家の庭に埋めてあげようって言って、最後のお別れをした時・・・子供達が神妙な顔つきで僕の手のひら

にのったカメ吉(ペットの名前)を見つめている時に突然、ドァ−ッと涙が溢れてきて天を見上げて「ぶはぁーっ」て感じで顔をゆがめて泣いた。

子供達は一瞬何が起こったのかわからず、というのはこれがたぶん初めて見た父親の泣く姿だったからで、少し間があいてから2人も泣き出した。

半分は悲しみでもう半分は一度も泣いた事のない父親の涙にびっくりして、この人が泣くのはよっぽどの事だよ、という事態に対するショックとパニック

とよくわかんない衝動にかられてだったと思う。泣き止んだ時2人ともキョトンとした顔してた。奥さんには「気持のやさしい人なんだね」なんて

言われて・・なんか情けない・・・逆に泣きたくなった。  だからといって今だってまず泣く事はないし涙腺もゆるんだ訳ではない。

いくつかのパターンを除いては。子供が生まれてからかなぁ? 親子ものがだめになった。父親と男の子の物語りとかがだめ。すぐうるうる来る。

あとは運動会みたいのがだめになった。リレー競争とか見てるとなぜか知らないけど、うるうると涙腺がゆるむ。自分の子が出てなくてもね。

うちの子は2人とも足だけは速くて運動会ではホントにワクワクドキドキ楽しませてもらった。でも速い遅いに関係なくなぜか心を打つものが

運動会にはあった。自分が親になってからは特にそうだな。だから応援しながらワーワーキャーキャーは見れなかった。

そういえば運動会で思い出すのは松田美由紀さんだ。松田優作夫人。毎年、運動会にかならず素のまま見学に来てました。もちろん一保護者として

参加されてましたが背筋がピンとしていて姿勢が良く「ああ、やっぱり女優さんなんだな」とひとりで納得してました。3人のお子さんがいるんだけど

次男の子が(映画デビューしたのは長男)うちの上の娘と何学年か同じクラスで、彼がお父さんの声そっくりなのにはビックリしました。

誕生日会に呼ばれて行った時の事を娘にそれとなく聞いてみたりして・・もちろんそういう事で騒ぐのは良くないし、ましてや娘はその頃、松田優作が

どんな人だったかも知らない訳で、でもお父さんの写真が飾ってあったよ、って言ってた。ねじめ正一さんといくつか仕事をしていた時に美由紀さんの

お母さんの話しを聞いた事があって後で本になったんだけど、ねじめさんと美由紀さんの両親の熊谷家との関わりなどは知っていた。なので美由紀さん

本人とは話した事はないけど、ねじめさんに同じクラスに子供がいるという話をした事があった。その時は不思議な縁を感じました。

不思議な縁といえば、ホントに多いんです。これまた有名人遭遇の話しと同様、数多くあるので書くのは無理ですが・・・ねじめさんの話が出たので

ちょっとだけですが・・・ねじめさんと一番最初に仕事させてもらったのが直木賞受賞した「高円寺純情商店街」の装幀の絵で、なぜ僕に依頼がきたか

というと当時の編集者だったT氏いわく「同じ中央線沿線だったから・・」ほんとかよ? 本当のところは定かでない。これも不思議といえば言えなくも

ない。そしてもう1人の編集者だったU氏にいたっては話している最中に僕の両親を知っているという事になり、偶然、彼の奥さんの実家が僕の実家の

御近所で・・・確かに僕はその家の子でした。って今も親子だけど・・・まぁこの話しは手緩い方で中にはヘヴィ−な内容のものもありますが

もちろん話せません。僕が中1の時の担任のF先生が次の年、小平の方の中学に転任し奥さんのクラスの担任になった事を12、3年後に結婚した後

アルバムを見てて知りました。あだ名はビフテキ先生。「なんでビフテキ先生知ってるの?」って感じでお互いびっくりです。世の中狭いって事ですかね

そして、その後カメ吉の埋まっている土の上には義父が増築して自分で建てたサンルームが出来上がってカメ吉は「縁の下の力持ち」になりました。

**( E●●さんへ。二度も笑っていただけて幸いです。新しい装幀の仕事を拝見していたらS社編集者のKさんのお名前がありました。

だいぶ前ですが確か1、2度仕事を担当していただいた事があります。まあ同じ業界の中なのでS氏の時もそうですが珍しい事ではないのでしょう)**

神様がキャスティングミスをして、あるいは予算がなくて同じ役の人を使わざるをえない、等の理由で不思議な縁は起るんだ。って想像すると楽しい

:けど、やはりお釈迦様の手のひらの上で孫悟空のように跳んだり跳ねたり、生かされてるだけなのかもしれない。

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